ジョブシフトblog - サイト運営の楽しみと苦悩のブログ

転職サイトを運営してる中の人のブログです。苦悩や業界についての考察、独自の働き方への意見を発信しています。

新卒を捨てたら人生終了?新卒を捨てポーランド・メタルの道へ飛び出た体験談

 
この度、コラムを寄稿させていただくことになりましたSayukiです。 わたしは現在、ポーランドと日本を行き来しながら、自分の好きなメタル音楽に関する通販サイトを運営しています。 そのほかにも細々と色々なことに手を出していて、その中のひとつに動画配信があるのですが、とある動画をきっかけにジョブシフト様からお話をいただき、今こうしてコラムを執筆しています。
 

その動画がこちらです。

 

わたし自身、大学卒業後に正社員として新卒で入った会社を、たったの2ヶ月で辞めてしまった経験があります。

人からは「意気地なし」「親不孝」と罵られたり、自分自身も退職後に何度か「わたしは何事からもすぐに逃げてしまう弱い人間だ」と思い悩んで様々な面でつまづいたりしながらも、今はこうして自分の好きなものを仕事にしています。

 

今回のコラムでは、わたしが仕事の内定をいただいてから今に至るまでをお話しています。 仕事を辞めようか悩んでいる人、辞めた後どうなってしまうのか心配な人、とにかく何をしたらいいのかわからなくなってしまっている人、そんな悩める皆様とわたしの過去をシェアできたらなと思います。

 

就職活動を少しでも早く終わらせたかった大学生時代

SAYUKI 大学3年生の頃

わたしが就職活動を始めたのは2010年の秋、大学3年生の頃でした。

その時期は就職氷河期だのなんだの言われていて、大学側もかなり就活に対して気合が入っていました。

 

わたしは都内の女子大に通っていたのですが、氷河期であったとはいえ、その女子大の就職率は90%台後半。

ほぼ全員が就職する、むしろ就職しない選択肢なんて大学院に行く以外無いのでは?というような状況でした。

 

当時のわたしは「ゆくゆくは海外に住みたい」という願望はあったものの、特にはっきりと自分がやりたいことや夢などが決まっていたわけではありませんでした。

まわりのみんなも就活しているし、「とりあえず今はやるしかないんだよな~。卒業したら正社員になるしかないんだよね」と、それで頭がいっぱいになっていました。

 

当時、わたしの第一志望は映画関係の会社でした。

しかし、応募した会社はすべて、ことごとく落ちてしまいましたね。

その後は、半ばやけくそになって履歴書やエントリーシートを興味のあるなし関係なく多くの企業に送りました。

100通以上は送ったと思います。

 

就職を始めて1年弱たった頃、特に興味もなかった広告代理店から内定をいただきました。

もう就活をする必要はないということが嬉しくて、その会社から内定をいただいたのを最後に就活に終止符を打ちました。

 

入社2ヶ月で退職、新卒ブランドを捨てる

晴れて4月から有名企業のパートナー会社で正社員として働き始めたわたし。

同期もみんな気の良い人ばかり。

上司もユーモアあふれる方ばかりで、嫌なお局のような人もいませんでした。

 

しかし、とにかく実践重視のその会社は、習うよりも慣れろという体育会系のスタイルでした。

決められたエリアの会社やお店を、片っ端からまわって名刺を交換しまくる「名刺集め」もやりました。

 

入社1ヶ月後には一人で営業に行かされて、日ごと、週ごと、月ごとのノルマも課されるほどになりました。

帰宅は0時過ぎなんてこともしょっちゅうです。

そんな時間に、上司から仕事の件で電話がかかってきたこともありましたよ。

 

残業代ですか?

出ません。

 

社会人として荒波にもまれ始めた5月のGW、実家に帰省しました。

両親はわたしがうまくやっているのかとても心配していたのを覚えています。

ただ、そんな両親を安心させてあげたい、せっかくそこそこ良い会社に就職できたんだから頑張らないと、とその時は気丈に振舞いました

 

GW明け、また過酷な営業活動が始まります。

来る日も来る日も朝から電話営業、午後は日が暮れるまで飛び込み営業、既定の終業時刻18時に帰れるはずはなく、夜遅くまで上司に詰められたり、よくわからないセミナーのようなものがあったり・・・。

 

大変でしたが、わたしは頑張れると思っていました。

実際にGWに実家に帰った時は、今の仕事を辞めようなんて1ミリも考えていなかったのですから。

しかし、気付かないうちにじわじわと心が悲鳴をあげていたようです。

 

ある日、いつものように営業資料をたくさん入れたトートバッグを片手に外回りをしていた時のことです。

 

気付いたら、地面に座り込んで声を出して泣いていました。

 

もう大人のはずの22歳の女性が、スーツが汚れたりパンストが破けるのなんてお構いなしに歩道に膝をついて大泣きしている。

今考えても正気の沙汰ではないと思いますし、傍から見たら絶対におかしい人でしかないですよね。

今思い出しても恥ずかしいのですが、その時の自分にはどうすることもできなかったんです。

 

その日から本気で仕事を辞めることを考え始めました。

本当に突然でした。

 

そして、5月半ば、営業に行ったふりをして公園で退職届を書いたのです。

 

ついに無職に。しかし世の中、味方になってくれる人も意外と多い

自分で言うのもなんなのですが、わたしは本当に人に恵まれています。

 

というのも、仕事を辞めたい旨を直属の上司に告げた時、彼は真剣にわたしの話を聞いてくれ、少し止めはしたものの、わたしの意見を尊重してくれました。

 

辞めたいと伝えるのはとても緊張しましたし、どうにもこうにも感情が高ぶってそこでもまた泣いてしまいました。

それにもかかわらず、あの時きちんとわたしと向き合ってくれた上司には今でも感謝しています。

 

そして、5月末にその職場を退職しました。

 

2012年6月1日は、記念すべき無職生活1日目です。

 

いつもは朝の6時に起きていましたが、少しのんびり寝て布団を干しました。

社会人になってから布団を干したのは、この日が最初かもしれません。

 

そして、夜は大学時代によ~く通っていた新宿の行きつけのバーに顔を出しました。

 

店に入るなり馴染のマスターに報告です。

 
あたし仕事辞めちゃったよ
 

するとマスターは一瞬驚いた顔をしてこう返してくれました。

 

「もう辞めたんか!ははは!でもまぁその仕事、やりたくなかったんだろ?」

 

こうして彼は、まるで何事も無かったかのように笑い飛ばしてくれたのです。

 

おそらく彼にとっては何気ない対応だったと思うのですが、大学時代からわたしを知っているマスターにそう言ってもらえるとなんだかとても心が軽くなり、ほっとしたのを覚えています。

 

さらには、カウンターに座っていた見ず知らずのお客さん(50代後半くらいだったでしょうか)にもその話をすると、

 

「人には合う仕事、合わない仕事があるんだよ。

その営業の仕事は君には合わなかったってだけ。

君はまだ若いんだしいくらでも可能性はある。

もし今やりたいことがあるのなら、明日にでもすぐにやってみなよ」

 

と、アドバイスをくれたのです。

 

中には、冒頭にも書いたように「根性なし」「親不孝」「大学まで出たのに」という言葉をかけてくる人もいました。

それは自分で重々承知していることなのに、言わなくては気が済まない人もよくいるものです。

そういう人の言葉は適当に流せばいいと思います。

本当にこちらのことを思って言葉をかけてくれる人にだけ耳を傾けないと、余計鬱々としてしまいます。

 

今、仕事を辞めようかどうしようかでとても迷っている人は、こうした言葉をかけられるのを恐れているかもしれません。

しかし、世の中、意外とあなたの味方もいます。

あなたの態度にもよるかもしれませんが、全員が全員冷たい言葉をかけてくるわけではないので、そこは安心しても大丈夫かと思います。

 

自分の好きな仕事をしてみたら、楽しい毎日が待っていた

100枚以上のエントリーシートや履歴書を送ったり、週に何度も会社説明会に行ったりして、そんな苦労をしてやっと手に入れた新卒正社員としての肩書を、あっさり捨ててしまったわたし。

 

これからどうしようかなという不安はもちろんありました。

 

しかし、地元に帰る気はありませんでした。

東京での一人暮らしには憧れていましたし、何よりそんなにすぐ仕事を辞めてしまったら親に合せる顔などありません。

幸い、仕事をしなくても数ヶ月は暮らしていけるだけの貯金はあったので、都内で仕事を探し始めました。

 

バーで出会ったおじさんのアドバイスのおかげで、ずいぶんと気持ちも吹っ切れて、今度こそは給料や肩書、人からどう思われるかなんて気にせずに、自分のしたい仕事をしようと決意します。

 

そして、わたしは音楽が大好きなので、都内のレコード会社でアルバイトとして働くことになりました。

本社の某部署で、週5日フルタイムのお仕事でした。

 
アルバイトとはいえ、またすぐに嫌になって辞めてしまったらどうしよう・・・
 

初出勤するまでは、そんな不安な気持ちが頭を駆け巡っていましたよ。

しかし、実際に仕事が始まってみると、楽しくて楽しくて仕方ない毎日が待っていたのです。

 

まず、かつては6時に起きていたものの、新しい職場は出勤時間が遅め、そして家から近めだったので、朝7時に起きても映画を観たりしながらのんびりと朝食を食べて、お弁当まで作って出勤することができるのです。

そんな些細なことがとても幸せでした。

 

髪型、服装も自由です。

お気に入りのバンドTシャツを着て出勤すると、さすが音楽好きが集まる職場だけあって誰かしらが「そのTシャツ良いね」と褒めてくれるのです。

さらには、運よく自分の大好きなジャンルの仕事を担当させてもらえることになり、毎日毎日出勤するのが楽しみで仕方ありませんでした。

 

もちろん、人間関係で悩んだり、仕事で失敗してとてもへこんだりと、人並みに嫌なことはありましたよ。

それでも何と言っても、自分の好きな音楽に携われることや、毎日のように音楽に関する新しい情報が入ってくるのが、何事にも代えられないほど楽しかったのです。

 

ただ、お給料は寂しい額でした。

保険などを引かれると、手取りで毎月12~13万円です。

幸い家賃も安かったし節約も得意だったので生活はできていましたが、貯金もしたいですよね。

というわけで、それまで気になっていた別の業種にも思い切って飛び込んで、週に数回、かけもちでアルバイトをさらに2つ始めました。

 

それがまたわたしにとっては都合が良かったのです。

副業で稼いだ分は貯金に回せますし、どこかの職場で嫌なことが起きた時は、いつも別の職場の同僚に相談に乗ってもらったり愚痴を聞いてもらったりすることができたのです。

そんなわけで2年間、トリプルワークをしながら週7日働き通しでしたが、身体は疲れるものの、精神的にはだいぶ満たされていました。

 

海外移住の転機、好きなものを求めてポーランド

東京での生活はとにかく刺激的で楽しくて仕方なかったのですが、やはり身体は正直です。

休みなく働いているせいか、それまでは健康体だったものの、この生活を始めてからというもの2、3ヶ月に一度は必ずと言っていいほど風邪を引くようになってしまいました。

 

「今の生活、すごく楽しいし充実してるけれど、ずっとは続けられないな」

 

そんなことをうっすら考えていた時に、転機が訪れました。

 

わたしのお気に入りのポーランドのバンドが、ポーランド国内でツアーをやることになったのです。

 

わたしはもともと海外でライブを観るのが好きなので、年に1度はライブのついでにどこかを旅行していました。

 

これは大きなチャンスだ!と確信しました。

お金もある程度貯まったし、ライブを観るついでに1年くらい海外で暮らしてみよう。

そう思って、すべての仕事を辞めて、2014年の秋にポーランドへ旅立ちました。

 

ポーランドに到着してからは、まるで夢のような出来事が次から次へと起きました。

好きなバンドのライブを生で観られたことももちろん嬉しかったのですが、そのバンドのメンバーがわたしが日本からわざわざやってきたことを知って、ツアーバスに同乗させてくれ、一緒にツアーをまわれることになったのです。

何年も前から憧れていたバンドメンバー本人たちと一緒に彼らのツアーをまわれるなんて、信じられませんでしたし、本当に幸運としか言いようがありません。

 

その後、縁あってポーランドにしばらく住むことになりました。

SAYUKI ポーランド移住

しかし、ここでまた人生の難関に出くわしてしまうのです・・・。

悩んでいるだけでは何も始まらない

ポーランドに住み始めて最初の頃は何もかもが新鮮で、憧れていた海外生活を手に入れたこともあり、すべてが輝いて見えました。

しかし、数ヶ月もするとだんだん現実が見えてきます。

さらには、特に仕事をしているわけでもないので、貯金はどんどん減っていく一方。

 

ポーランド国内中の日本食レストランや、外国人を雇ってくれそうな場所に履歴書を送りまくってみたものの、返事は来ても実際に採用されることはありませんでした。

 

 
そもそもわたしは日本食レストランで働くためにポーランドに来たんじゃないよね?

せっかくポーランドに来たのに何してるんだろう・・・
 

毎日そんなことばかり考えていると、どんどん気分も沈んでいくんですよね。

それもあってか、毎晩のように悪夢にうなされていました。

 

そうこうしているうちに、当時所持していたビザが切れてしまったので、いったん帰国することに。

帰国後は面目なくて親元で暮らす気も起きず、住み込みでよその県へと働きに出てしまいました。

 

知り合いの一切いない新しい環境。

改めて、わたしって何がしたいんだろう・・・と考えるようになりました。

 

東京に住んでいた頃は、あんなに好きなことをやって楽しんでたじゃん。

好きなことって何だ?

やっぱり音楽だし、ずっと音楽に携わっていたいな。

 

それがわたしの答えでした。

わたしの好きなことは昔から変わることなく音楽だったのです。

世の中に良いバンドはたくさんいるけれど、まだまだ知られていないバンドもたくさんいる。

だったらわたしがもっとそういうバンドを世の中に広められないだろうか?

自分は楽器も不得意だしバンドはできないけれど、これからもメタル音楽がすたれないようにバンドたちをサポートすることはできるぞ!

 

そして、バンドを紹介する動画をYouTubeにアップし始めたのです。

今見るととても恥ずかしいです(笑)

しかし何の気なしにアップしたこの動画が大当たり。

あちこちで拡散され、ポーランドのVICEマガジンさんからインタビューの依頼まで来たほどです。

 

色々なバンドからコンタクトもあり、可能性を見出してポーランドに再び赴きました。

そこからはわたしもぼけーっとチャンスを待ってなんかいませんでした。

 

どうしたら自分なりにもっとメタル音楽と関われるかを探し続け、バンドにインタビューをするようにもなりました。

そのうち、自分の好きな音楽を広めるためには自分でお店を始めれば良いということにも気づき、CDやグッズを販売するサイト運営に至ったのです。

これがまたありがたいことに、すでに結構常連さんもいらっしゃるんですよ^^

基本的にはわたしが気に入った商品しか仕入れないので、それを購入してくださった方から喜びのメールをいただくと、もうこちらも嬉しくて嬉しくてたまりません。

 

こうして色々と活動していたら、TVに出演するチャンスまで巡ってきました。

日本の某TV局さんがわたしの人生に興味を持ってくださり、わざわざポーランドまで取材に来てくださったのです。

わたしの両親の元にも某有名芸能人とスタッフさんが撮影に足を運んでくださり、親は「TVに出るのはともかく、まさかあの人に会える日が来るとは思わなかったよ。冥途の土産をどうもありがとう」と喜んでくれました。笑

この言葉を聞いた時は、こんな親孝行の仕方もあるんだなぁとしんみりしてしまいましたよ。

 

さらには現在、新しく音楽関係の某プロジェクトも進めている最中で、稼ぎはまだまだ少ないけれど、今が一番人生で充実しているのではないかと思うくらいです。

これまでは特にこれといった夢が無かったわたしですが、今はその夢も見つけることができました。

 

最後に

こう言ってしまうと、開き直っているようで気に障る方もいらっしゃるかもしれませんが・・・

 

わたしは本当にあの時、あのタイミングで仕事を辞めて良かったと心から思います。

 

もしあの時仕事を辞めていなかったら、また別の人生が待っていたでしょう。

グッと耐えていたら出世していたかもしれませんし、重圧に耐えきれず自殺していたかもしれません。

 

ただひとつ言えることは、もしあの仕事を続けていたら、今の生活は無かったと思います。

こうして自分の好きなものを追及して、それを仕事にしてはいなかったかもしれません。

いや、遅かれ早かれ、同じことをしていたかもしれませんが、おそらくもっともっと歳を取ってからだったでしょう。

まだアクティブに動ける20代のうちに自分のやりたいことに気付けて、夢まで見つけることができたのは幸いだと思っています。

 

他の人と違う道を選択するのって勇気がいりますよね。

人の目も気になるかと思います。

だけど、その勇気を出して飛び出してみると、また新しい世界が開けてくるに違いありません。

別の道を選択したとしても悩みは尽きないかもしれませんが、悩むよりもまずは行動することが大切なのではないでしょうか。

 

 
【この記事を書いた人】

都内女子大卒業後、正社員として就職するも2ヶ月で退社。 もともと興味があったレコード会社やその他の業種でアルバイトをし、 好きな音楽を追いかけてポーランドへ。

現在はメタルの魅力を伝えるべく、通販サイトを運営しています。⇒http://dekalog11.com/

YouTubeチャンネルもやっています

https://www.youtube.com/channel/UCCuOXuT5_ybmmUf9w32Y7Uw